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教習が始まった。今日は夕方の4:30から2時間連続の実技講習だ。
実はわたしは、ある程度の覚悟を決めて今回の教習に臨んでいる。それは「どんな扱いを受けても大抵のことは耐える」というものだ。
正直なところ、私は教習所あまりに良い思い出はない。
私は大学時代に免許を取ったので実際のことは分からないが、高3の春休みに免許を取った同級生たちは同じ教習所に通い、その同級生たちはことあるごとに教習官の悪口を言っていた。血気盛んな年頃でもあり話半分としても、とある教習官にあたったらその場で車を降りて教習簿を事務室に返したいたらしい。
私は温厚な人柄のせいもありあまり嫌な思いをした記憶はないが、中にはやはりおかしな教習官もいた。
ある時、教習官が「後方確認をしたか?」と聞いた。
「しました」と、それを当然だと思っていた私は答えた。
「じゃぁナンバー言ってみろ」
あのなぁ、お前はモノを教えたいのか? 単に威張りたいのか?
認知ということの意味を理解しているとは思えない。ただ威張りたいのだ。何か言いたいのだ。教習官としてのプライドを姑息な方法で保ちたいのだ。
そんな記憶もあり、「教習所=辛い」という図式が私の頭の中にはあった。しかし今回は合宿だ。1時間のロスが1日の休みにつながる。私の腕と頭が悪くて時間が延びてしまうのは仕方がないが、単なる不愉快感だけで教習日程を延ばすことはできない。
しかも今回は自動二輪だ。自動車より危険な乗り物であるのだから、教習も厳しくなるのは当然だ。更に自動二輪となれば、珍走団や珍走予備軍の諸君も集まるだろう。教習官はそんな連中を相手にしているのだから、多少語気が荒くなるのも仕方がない。
「こどもとご先祖様の悪口を言われない限り、何があっても耐える」
私はそう決めていた。
ここが掛川自動車学校の教習コースだ。教習簿と配車カードを持ち、かなり緊張しながら待機する。今から30分後、私は罵声を浴びながら400ccのバイクに体を押しつぶされているかのしれないのだ。

バイクにはギヤやブレーキなどの状態を示すランプが山のようについている。これに押しつぶされたら、重いだけではなくかなり痛そうだ。ランプが多い分、カバーやバルブの破片が刺さる可能性も高くなる。

1時間目の教官は若い人だった。一見好青年に見える。しかし「こち亀」の本田の例もある。バイクにまたがった瞬間人格が変わらない保証はない。
まずは教習の受け方の説明を聞き、バイクを引き回す。各装置の説明を聞く。スタンドをかけたりはずしたりする。倒れたバイクを起こす。ゆっくりと走る。止まる。なんだ、自分にもできるじゃないか!
教官は終始態度を変えない。というより、人柄そのままなのだろう。温厚かつまじめにバイクの扱い方を教えてくれる。教官がまじめな分、こちらももっとまじめにならなければと思う。良くない癖を穏やかに指摘される。可能な限り気をつけてがんばろうと思う。
なんだか、理想的な師弟関係になってしまった。こんなに辛くなくていいのか?
2時間目は少し年齢の入った教官だ。ジャケットからみえるネクタイが凛々しい。髪に白いものもあり私とそれほど変わらない年齢のようだ。さっきは若い教官だったので年齢に対する敬意も多少は受け穏やかに過ぎたが、こんどこそ罵声を浴びるかもしれない。
1時間目の終わりに行った外周周りを続け、左折、右折、中央寄せ、後方確認などを行いながら「第1コース」なるものを走る。教官はコースに立ち、適宜私がうっかり忘れがちなルートや、車線変更、右左折時などの注意事項を伝えれくれる。指摘は極めて的確で穏やかだ。
うーん、なんか変だ。
どちらの教官も「教える」ということの意味をしっかり理解している。
だから指摘は的確だし、私の気持ちを削ぐような言葉がまるでない。むしろ励まされている。「ナンバー言ってみろ」などとは間違っても言いそうにない。自分のヘマ以外で辛い思いをすることがなさそうなのだ。
もしかして、私は大変幸運なのだはないだろうか? 時代が変わったのか? それとも地獄は明日以降に来るのか??
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とにかく今日の教習は無事終わった。教習は辛いどころか、正直言って楽しかった。もちろんうまくいった訳じゃない。いろいろ失敗もした。しかし楽しかった。心のねじれ曲がった私なのに、「今日の欠点を明日は克服しておこう」などと思ってしまったほどだ。
酒類持込禁止の宿舎に帰る前に、徒歩1分のところにあるスーパーでビールを買い、ベンチで祝杯をあげる。明日からもこういう日が続きますように、と祈りながら。
