日本で予約する青海チベット鉄道(青蔵鉄道)個人旅行記

ラサの宿と街

それでもラサはチベットでした。

チベット青蔵鉄道の開通をが、チベットにとって良いことなのかという議論があります。
チベットは過去独立国家でしたが、今世紀になって中国の一部になりました。しかし、その地理的な環境のため、あまり中国化されることがなかったのに、この鉄道の開通によって、チベットの中国化がますます進んでしまう、という懸念です。

たしかにその通りでしょう。チベットはどんどん中国的になっていきます。
また中国政府もチベットを重要な観光資源と位置づけたようで、観光資源としてのチベット文化はしっかりと守っていくつもりのようです。

どんな国も地域も、変わらない場所はありません。かつて世界の秘境と言われたチベットも例外ではありませんでした。変わっていくこと、人やモノが流れ込むこと。それが良いことなのか、悪いことなのかは行きずりの旅行者が口にするような問題ではないのかもしれません。ただ、今回訪れたラサの街はは、まだチベットでした。街も以前よりかなり大きくなり、スーパーマーケットまで出来、いろいろな変化がありましたが、それでもラサはチベットのままでした。

何を見るか、どう見るかは人それぞれです。
私もチベットの変化に何も感じていない訳ではありません。しかしここでそのことを書くのは止めておきます。ビザ無し15日間だけの旅行だったので、チベットには1週間ほどしかいることができず結局ラサだけに滞在することになりましたが、私はチベットの空気をたくさん吸ってきました。ここではそんなラサの街の様子をごらん下さい。

 

 

 

ラサ・ヤクホテル(亜旅館)
(2007.1 チベット青蔵鉄道旅行記 19)



Sim's Cosy のパッケージではラサ駅からの宿への送迎とドミ1泊がついていた。

旅行手配担当の方は 「HIMALAYA と書いたプレートを探して下さい」と言っていたのだが、どこにもそのようなプレートがない。だいたいプレート自体が英語の名前を書いたものと、なぜか赤十字マークを付けた宿の客引きの二つしかないのだ。

しばらく待ってみたが人は減る一方で送迎の来る気配はない。小一時間待って正直そうなタクシーを拾う。正直そう、といっても向こうから声をかけてこない流しを拾っただけだが。きちんとメーターを使ってくれてヤクホテル(亜旅館)まで26元。工事中の橋が完成すれば、もう少し安くなるのだろう。

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ヤクホテル(亜旅館)はラサの安宿の定番だ。
他にもいくつか有名どころの宿はあるのだが、この時期は夜の気温がかなり低く「みんなヤクに逃げ込んできていましたよ」という話を成都で聞いていた。シャワーのお湯の出も秀逸らしい。


ヤクホテル自体は最近政府認定の星も取った、なかなか快適な中級ホテルだ。旧市街の大通りに面していて場所も良いし、なんと言ってもホテルの中が大変に清潔で気持ちがよい。ランドリーサービスやインターネットサービスもある。立派なロビーから想像できるように、一番高いスイートはラックレートで1000元以上だ。

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しかし私に1000元もする部屋に泊まる財力はない。ちなみに普通のシングルの料金を尋ねたところ、閑散期の定価200元から150元にまで値引きしてくれたが、ここには大変快適なドミトリーがある。6人部屋で1ベッド1泊20元だ。(繁忙期には50元になるらしい)。夏などには人気でなかなか取れないヤクホテルのドミトリーだ。これを見逃す手はない。



ドミトリーは中庭の駐車場に面した場所にある。部屋のドアの真ん前に車が停まっているのが、いかにも安い部屋らしくて良い。嘘だ。本当は嫌だ。でもしかたがない。

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ドミは4室、それぞれ6つのベッドが置いてある。
室内は毎日掃除してくれるので大変清潔だし、中国なので当然お湯の入った魔法瓶もある。

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ただしこの部屋には全く暖房がない。
普通ドミは混んでくると先住者は「混んできたなぁ」とちょっと嫌がるものだが、ここでは逆だ。代謝が激しく呼気の温度が高そうな若者がくるとみんなで大歓迎する。人が少ない夜は寒かったのだ。


冬と言うことで1ベッドに2枚の布団が用意されていたが、こんなものでは足りない。旅行者はそれぞれ自前の寝袋や毛布を追加したり、靴下を重ね履きするなどして夜の寒さに備えた。窓際など2枚の布団に寝袋でもぐり込んでも「隙間から入る空気が冷たい」とのこと。ラサの夜はそれほど冷え込む。

私は成都で電気毛布を買って良かったと心から思った。

 

 

五体倒地@大昭寺(動画あり)
(2007.1 チベット青蔵鉄道旅行記 20)


大昭寺(ジョカン)はラサの旧市街中心地にある。

というより、大昭寺がラサの中心なのだ。
今でこそラサも旧市街の北に新市街ができ、スーパーや大型ホテルが進出しているが、チベットの人たちにとってのラサは中心は、今でも大昭寺であり大昭寺をとりまく八廓街だ。大昭寺はチベットの各地から五体倒地までしてやってくる巡礼者の目的地なのだ。寺の前には常に巡礼者がいる。

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巡礼者と言っても、常時お寺を拝んでいる訳ではない。
仲間同士で雑談したり、お茶を飲んだり、中には昼寝をしている人もいる。大昭寺は1日2回巡礼者のためにその入り口を開いており、巡礼者は寺の中を拝観・巡礼できるその時間を思い思いに待っているのだ。



もちろん熱心な巡礼者は、寺の前でも五体倒地による礼拝をしている。
しかし移動中の巡礼と違い、どうもここではマットを使っている人も多い。人一人が体を横たえることができる大きさのマットだ。

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これはなかなか優れ物だ。

巡礼での移動中には簡易ベッドにもなるし、大昭寺の正門前では場所取りにも役立つ。また五体倒地をする時にこのマットを使えば体の痛みも多少は和らぐはずだ。もちろんマットなど使わず石畳に体を押しつける人もいるが、よく見るとマットを活用している人も少なくない。

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ともあれ、チベット仏教の信者たちは昔ながらの作法で五体倒地をしている。

あえて自ら道程を困難にする「苦行=信仰」の図式は、外部の人間にはなかなか理解できない。少なくとも私には共感しにくい。仏陀は苦行による修行を否定したのではなかっただろうか、などとも考えてしまう。しかし五体倒地はチベットに根付く信仰の形態だ。よそ者がどうのこうの口をはさむことではない。邪魔にならないようにその様子を見学させてもらう。



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(↑ 画像をクリックすると動画を再生します)


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(↑ 画像をクリックすると動画を再生します)


巡礼者たちはラサのこの地に来ることができたことを心から喜び、その喜びを五体倒地という形で表現しているようにも思える。その願いが家族の幸せなのか、世界の平和なのか、あるいは自分が来世も人間に生まれ変わるためなのか、それは分からない。ただ間違いないのは、巡礼者たちに迷いがなことだ。


ラサで読んだ情報ノートに、妙に心に残る一文があった。
「宗教はのめりこんでこそ、その醍醐味がある。」
全く持って同感だ。迷いなく信じるからこそ、少なくはない費用を捻出してラサまで巡礼にやってきて、大昭寺にたどりつくことで心から感動できる。巡礼者の心は間違いなくここで満たされているのだろう。それが良いのか悪いのかは私にはわからない。しかしこの場所に漂う空気は、間違いなく穏やかで平和だし、人々の表情は柔和だ。



大昭寺を背にすると、歩行者用の広い道路がポタラ宮方向に続いている。
中国政府が世界遺産指定にともない整備をしたと聞いた。

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ポタラ宮
(2007.1 チベット青蔵鉄道旅行記 21)



ラサの観光名所と言えば、ポタラ宮だ。
ポタラ宮はもともとした吐蕃王朝第33代のソンツェン・ガムポの宮殿だった。まだチベット地域が他国の応援のもと国を治めていた時代だ。ここがチベットの王宮になったのは1642年、チベット政府「ガンデンポタン」の成立後のことだ。ソンツェン・ガムポの宮殿を拡張する形で、20年近くをかけて建て増しを行い、現在の姿になった。

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中央に見える赤い建物は「ポタン・マルボ(紅宮)」と呼ばれる歴代ダライラマの霊廟や居室などがある宗教的な施設であり、周辺の白い建物が「ポタン・カルボ(白宮)」と呼ばれる政治的な施設だ。その居室の数は全て合わせると1000を超すと言われている。我が家より部屋数が995程多い。我が家はまだローンが残っているが、こちらのローンは既に終了しているようで1994年にチベット初の世界遺産に登録されている。




この巨大な建造物は、実は街の中央部近くにある。軽い高山病で足取りが重い身でも、ヤクホテルから歩いて行くことが可能だ。目の前には街を貫く大通りがあり、チベットのシンボルである聖地と言ったロケーションではないかもしれない。しかし未だ地元の人々の信仰対象となっており、正門前の大通りでも五体倒地をする人々が見られる。

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夏などの繁忙期には、前日にパスポート持参で見学の予約をする必要がある。しかし閑散期である2月の春節前には予約などの必要はなく、ふらっと出かけてそのまま見学することが可能だった。



2007年2月の時点で、入場は中央門からになっている。

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中央門をくぐる前の右手でひっそりとチケットを売っている。
地元のチベット人が1元でチケットを購入していたので、とりあえず「票」と一言言って1元を差し出したが、にこっと笑い「行って良いよ」と言われた。ちなみにポタラ宮の入場料は100元のはずだ。事情が飲み込めないまま指示に従う。

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門をくぐるとまず所持品検査がある。検査対象はライターだ。





ここをくぐると所持品検査が行われる。検査対象はライターだ。検査機横の箱には、山のようにライターが入っている。空気の乾燥したチベットの丘の上にある世界遺産だ。火事でも起きようものなら鎮火には手間取るのだろう。ポタラ宮の中は禁煙だ。ちなみにライターは後でここに戻ってくると帰してくれる。私は自分のライターを探していたら、係員が笑いながらその辺の適当なライターを3個くらい渡してくれた。2元の儲けだ。^^

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しかし、これででもまだ火災の不安はあるらしい。
ポタラ宮の中にはあちこちに「火事を防ごう」と行った趣旨の張り紙や看板がある。たばこの火どこか、祭壇や霊廟の火も、また漏電が怖いのか電気の扱いについても、注意事項がイラストで描かれていた。

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正門をくぐり紅宮を目指して階段を登る。標高差は約150m。楽な道のりではない。

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休み休み階段を登ると、紅宮が少しずつ近づいてくる。

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20分も歩くと白宮の上部に立っている。
ラサの街並みが下に見え僅か150mとはいえなかなかの光景だ。もっとも150mといえば東京タワーの半分の高さ。高層建築の少ないラサの街並みが見渡せるのも当然といえば当然だ。

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ここまで登ってきてもまだ入場券を見せろと言われない。
何か特別な事情でもあるのだろうか? もしかして入場料の100元を支払わなくて良いのだろうかと甘い夢を見始める頃、チベット人以外の入場券売り場が現れる。ポタラを個人で訪れた観光客は、全てここまで甘い夢を見るらしい。宿でこの話をすると、われもわれもと夢と挫折についてみんな語った。

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ここで引き返せば入場料の100元は不要だ。ちなみに私の宿は1泊20元だ。階段もたっぷり昇ったしポタラも間近に見たし引き返そうか、などとも考えてしまう。別にここまでやってきてポタラの中を見ないで1500円を節約する意味はないのだが、それほどのがっかり感なのだ。

外国人だけではない。チベット人以外の中国人もちゃんと100元を支払う。夢が壊れて立ちつくす私を追い越すように、中国人観光客が何もためらうことなく100元札を財布から取り出すのを見て、はっと我に返る。実は観光地としての100元はそれほど高くはない。中国は物価に対しての入場料が異常に割高なのだ。中国の政治・経済システムは、貧しい人に必ずしも優しくはない。



正気を取り戻して入場券を買い、ゲートをくぐる。白宮の屋上を少し歩くと、すぐに紅宮だ。

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紅宮の中には、歴代ダライラマの霊廟や旧居室、来客の寝室などがある。

正直、大量の黄金や宝石で作られた巨大な仏塔にはあまり関心が沸かない。しかも歴代ダライラマの霊廟を立て続けに見ても「なるほどね」程度の想いだ。以前なら部外者など立ち入れなかった聖なる部屋なのだろうが、私にはあまり感慨がない。むしろダライラマの居室で「ここで亡命を考えていたのか」などと想像する方がまだ楽しい。チベット寺院の魅力としては、庶民が熱心に巡礼するジョカン(大昭寺)や若者が修行に励むセラ寺の方がよほど大きい。



残念ながら2007年の時点で紅宮の内部は撮影禁止になっていた。
このまま紅宮の中を紹介できないのも寂しいので、転載可能な紅宮内部の写真を少し探してみた。私にとっては大金である100元を支払って見ることができる紅宮の内部は、まぁこんなものだ。
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見学ルートは決められていて、その順路に従って歩くしかない。繁忙期にはゆっくりと見学することができない日もあると聞いた。運良く閑散期だったため、満足するまで各室や霊廟を見ることができたが、それでも2時間強で北側の出口にいた。

確かに腐ってもラサのシンボル・ポタラだ。素晴らしい寺院であり遺跡だ。しかし私に他の寺院ほどの魅力を感じられなかったのはなぜだろう? まるでエッフェル塔に昇った時のような、有名な観光地を追体験している感覚と、「なるほど。とりあえず一度は見ておいて良かったか」程度の想いしか得ることができなかった。

もちろんその感性は人それぞれだろう。
私にある種の感性が欠落していたのかもしれないし、「入場料100元を払わなくて済むかもしれない」という、情けないほどみみっちい夢を壊されたことが、多少影響している可能性もある。

 

 

セラ寺の問答修行(動画あり)
(2007.1 チベット青蔵鉄道旅行記 22)



ラサには3つの有名な寺院がある。ガンデン寺、デブン寺、そしてセラ寺(色拉寺)だ。


どれも由緒正しい寺だが、日本人には特にセラ寺が有名だ。

1901年と1913-15の2度に渡り事実上の密入国でチベット入境を果たし「西蔵旅行記」(現在では「チベット旅行記」という名前で刊行されている)を書いた河口慧海、更に多田等観の二人の日本人がここで修行をしたためだろう。私も若い頃、そば粉の粉を固めて口に入れながら、インドからチベットに密入国したこの冒険記を、胸を躍らせて読んだ覚えがある。



宿で三大寺を全て見学した旅行者によると、どれも素晴らしい寺だけれど、背景になる知識が十分にないとどこも同じように見えてしまうかもしれない、と口を揃えて言う。私のラサ滞在日数は長くはないし、せっかく行ったからには1日ゆっくり見学をしたい。私はためらわず三大寺のうち最初の訪問地にセラ寺を選んだ。


あまり書きたくないのだが、実はこの寺の裏山の頂上付近には鳥葬場もある。

異教徒が鳥葬を見学することは許されていないが、早朝これを覗き見するバスを出している観光会社もないではない。ルール違反をして遺族の心を痛めてまで鳥葬の現場を見たいとは思わなかったが、もし可能なら、葬儀の行われていない時間にちょっとその場所を見たい、という思いがあったことも告白しておく。



セラ寺は1419年にツォンカパの弟子のチャムチェン・チュウギ・シャキャ・イェシェによって建立された。他の寺同様、最盛期には1万人近い僧がここで修行をしていたと言われる。現在では200〜300人程度ではあるが、やはり学僧がここで修行をしている。治安が安定しなかった時代には他国同様多くの僧兵がいて、「荒くれ坊主のセラ寺」などと呼ばれていた時期もあるらしい。



セラ寺(色拉寺)はラサ三大寺の中でもっともアクセスが良い。
市街地から北へ約4kmほど行った人民軍病院の隣、ギャルツェン・リの麓にある。歩いて行くこともできるが、市街地から運賃2元のバスが頻繁に走っている。所要時間も20-30分程度だ。



バスを降りて参道を歩くと五分ほどで正門に着く。
さりげなく門をくぐろうとしたが係員に呼び止められ、入場料50元を支払う。外国人のチケット購入は義務ということにはなっているが、「そのまま簡単に素通りできた」「数珠を持っていたらそのまま通してくれた」という話もあり穏やかな強行突破を試みたのだが、失敗に終わったわけだ。

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正門をくぐるとその道は学堂に続く寺の大通りだ。

左には信者のためのマニ車があり、訪れるチベット人は、一度回すと大蔵経を一度読んだのと同じ御利益があるといわれるこのマニ車を、時計周りに回転させる。一回りすれば数十巻のお経を読んだのと同じ御利益があるのだ。回さない手はない。

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御利益を頂き参道の坂をゆっくりを昇ると、やがて右側に大きな建物が現れる。大集会堂だ。

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午後1時になる前だっただろうか、突然僧たちがこの集会堂に集まり始めた。なんだろうと思って僧の後を追うと昼食だった。僧たちはこの大集会堂で食事を摂っているようだ。昼食は粥だ。中には野菜などが混じっている。灯明と同じラクのバターの臭いが粥からも漂ってきた。僧たちは集会堂中の椅子に並ぶように座り、食事係の僧が忙しそうにおかわりをついで回る。集会堂内の撮影はためらわれた。



食事を終えた僧たちは自室に戻る。2時から午後の修行が始まるまでの休憩のようだ。

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午後の修行が始まるまで学堂を見学する。
道をはさんで大集会場の反対側に、メーパ学堂、チーパ学堂、ンガクパ学堂と呼ばれる3つの学堂がある。特にンガクパ学堂は高度な密教修行をする場所だとのことだった。内部には修行のための部屋や廟などがいくつもある。

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セラ寺は現在は主に修行を目的とした寺だ。
僧にとっては修行の場でもあり、生活の場でもある。僧たちの生活エリアを少しだけ見学させてもらう。

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トイレは野外にあった。
さすが学僧のトイレだけあって中国とは思えない清潔さだ。学堂付近のトイレを使うと1元かかるので、ここを使わせていただくことにする。

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太陽光を集める湯沸かし器があった。
。中央に吊されているのは厚い鉄製のヤカンだが、振る舞っていただいたお湯は十分に熱かった。ラサは晴天が多く太陽光も強烈なのだ。

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午後2時から、学堂近くの庭で僧たちの午後の修行が始まる。
はじめはなんとなく集まって来たようにも見えたが、やがて近くにいる僧たちが問答を始めた。自習ということなのだろうか。問答を積極的に行う僧もいれば、そこに座りただやりとりを眺めている僧もいる。



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ぽつぽつと始まった問答修行は、やがてあちこちで行われ始める。問答をしている二人の僧を囲むように、庭の中にいくつかのグループが出来上がる。

どんな話をしているのか気になるが、私はチベット語ができない。
そこに運良く欧米系のツアー客がやってきたので、近くによってガイドの話を聞いていたところ、このような問答をしていたそうだ。

「建ってから5年経った人のまだ住んでいない家がある。これは新しい家か?それとも古い家か?」

「古い、新しいは時の流れが決める。そう考えれば古い家だ。」

「家は住むための物だ。まだ誰も住んでいないということは使われていない、すなわち新しい家ということになる。」


たいした内容ではない気もしたが、こうして形而上の思考の習慣を身につけ、哲学である仏教を学ぶ能力を高めていくのだろう。

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およそ1時間後、合図とともに僧たちが車座になりお経を唱え始める。これが1時間程続く。



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僧たちが黄色い帽子を被り始めたら、読経の修行もも終わりに近い。

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読経の修行が終わると、僧たちはまたグループに分かれ問答修行を再開する。
この問答は読経前の物とは違い、公式の授業ということらしい。位の高そうな僧が各グループを周り、問答の内容を聞いては何かをノートに書き付けている。修行僧の成績をつけているようだ。

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観光客に許された見学時間が近くなってきても、修行は終わる気配を見せない。
残り時間も少ないので、鳥葬場がある裏山の側に向かってみることにした。

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山の上部に向かってやや黒みがかった道があり、その先には何か壁のようなものが見える。多分ここが鳥葬場なのだろう。鳥葬はまだ夜が明けきらない早朝から行われるとのことだった。盗み見をする観光客は、セラ寺を通らず闇に紛れて裏山に入るのだろう。今行くには明るすぎるし、高山病がまだ抜けきっていない身には、ここまで登ることは厳しい。遠くから眺めるだけで十分、そう自分に言い聞かせる。閉門の時間も近い。



寺の裏山側には、祭礼時に旗を並べる塔があった。
チベットの空はどこまでも濃厚に青く、強い太陽の光を受けた白い塔が美しい対比を見せる。自分が死んだら、こんな美しい場所で自然に帰っていくのもなかなか悪くないかもしれない。

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